樹木葬を考える

樹木葬を考える(2)

・樹木葬と里山の保全

前回は、樹木葬はお骨を土葬する埋葬方法で、その方法自体は昔から行われていたこと、里山を保全すると言う意味においては、すばらしい発想であることを書きました。前にも当霊園のブログに書いたと思いますが、現在において、里山を保全することは大変に難しいことだと思います。私が子どもの頃、昭和40年代後半の頃は、まだ、炭焼きが行われていました。その為に山の木々は定期的に伐採され、下草も定期的に草刈されていた為に里山は、とても美しいところでした。(もっとも当時はそれが当たり前の風景でしたから、美しいと思ったのは、大分後の記憶の風景です。)もともと里山とは、人が手を加えて出来上がった風景であることを知ったのは大分後のことです。ともかく、山から収入を得るためにきれいに管理されていたのですが、炭が石油やガスに変わり、山の管理をしても収入が得られなくなった時から里山は、荒れ放題になりました。里山に人の手が入らなくなると、まず、メダケと言う竹に覆われてきます。地面に日光が届かない為に様々にあった植物も駆逐されてしまいました。リンドウやヤマユリなども沢山咲いておりましたが今ではほとんど見ることが出来ません。何年かすると日当たりを好む落葉樹、コナラ、えごの木等は常緑樹に負けて最後は、シイ、カシなどの常緑樹だけで構成された極相林と言う森になるそうです。神社などの山で昔から、その場所の樹木の伐採が禁じられた場所では、大木の常緑樹だけで構成された所謂、鎮守の森がありますが、それが極相林で、そうなることが自然な山の姿なのだそうです。繰り返しますが、落葉樹の豊かな林は、人の手が入った里山です。極相林もあり且つ里山もある場所が生物多様性の観点から見ても大切だと思います。そのような場所を後世に残すことは、とても重要だと考えますが、ただ豊かな自然を残す目的の為だけに荒れた山の管理をすることは、ほとんど無理だと思います。「里山型樹木葬」を作ることで昔のような美しい里山を維持できるのですから祥雲寺様の発想がすばらしいと思うのです。

私の作った市原南霊園もなるべく人の手を加えず、自然の樹木を生かして作り上げた霊園ですが、墓地と言うことで、行政の許可が必要になります。墓地、埋葬等に関する法律に基づく許可が必要なのです。以前は、保健所に許可権限がありましたので、県内ほぼ一律に規制されていたようですが、現在は各市町村に許可権限が委譲されています。各市町村ごとに違う条例を作り規制しています。従って、厳しい基準の市もあれば、比較的簡単に許可の取れる市もあります。私の霊園のある市原市の条例は厳しいです。私の霊園も当然に、条例に基づき作りましたので、そのままの形で昔の里山を残して許可を取得することが出来ませんでした。

所々にコンクリート製の土止めや舗装された道があります。区画内についても、山の表土をはがして芝生やリュウノヒゲを植えました。山の表土は何百年もかけて微生物が落ち葉や朽木を分解して出来上がったものです。表土をはがした後に人の手を加えても元どおりになりません。ですから霊園内の一部は人口的に作られたいわば不自然なものです。ただし、区画や道になっている部分は、広大な面積の樹木葬霊園内のほんの一部です。園内の大部分は、条例上、緑地帯として残さなければならない為、ほとんどの部分は、昔からあった里山となっています。緑地部分の樹木のほとんどが株立ちになっているのは、昔、炭焼きのために伐採した木々が成長したからです。里山型の樹木葬霊園を作ることは、後世に里山を残す有効な手段だと思いますが問題点もあります。以前にブログで書きましたが、お墓として利用している限りにおいては、必要以上に人の出入りがあります。あくまでも昔の里山や生物多様性を重視するならば、下草等を管理する時以外には人があまり出入りしない区域が必要だと思います。いくら人工物を作らずに霊園を作ったとしても、お参り等で必要以上に人が出入りしたならば、ゴルフ場等の開発とあまり変わらないと思います。市原南霊園では、区画と歩道以外の場所の立ち入りを禁止しています。園内の緑地帯もそうですが、霊園に隣接する山の一部も下草刈りを行い、普段はほとんど人の入らない場所を設けています。また、霊園の一番奥深い場所は、昔から伐採されていないためシイやカシの大木がある極相林となっている部分もあります。樹木葬霊園を作った為に一部は、人口的な山となりましたが、一部は昔の里山の姿を取り戻すことができました。これで、私が霊園を作った目的の一つが達成できました。

山の荒廃について言えば、昭和40年代頃に全国各地で行われた杉の植栽の問題があります。当時は、何十年かすれば材木として利用できると考えていたこと、杉の植林をすれば行政から補助金が貰えたことなどもあり、里山はもちろんのこと使われなくなった水田にまで杉を植林しました。その後、木材が安く輸入できるようになったため、植林された杉山はほとんど管理されなくなりました。管理されなくなった杉山は、地面に日が当たらない為に下草も生えず、ほんの数種類の樹木しか生えていません。台風等の大雨が降ると草が無いため土砂崩れを起こしやすく防災上も危険です。そんな杉山が全国各地にあります。私の住む大通寺の回りもそんな杉山が沢山あります。2年ほど前に寺の参道付近のけっこうな大木に育った杉を業者に依頼して伐採してもらいましたが、何十万も費用が係りました。現在は、少しずつ自分で杉の伐採をしていますが大変な手間が係ります。千葉県の大原町にある天徳寺様もそんな杉山を伐採して里山型樹木葬を行っているお寺です。私が作った霊園は、幸いに杉が植林されていない山でしたが、杉山となった山を里山に戻すには大変な手間が係ると思います。もう一つ里山にとって問題になっていることがあります。それは、放置された孟宗竹の竹林です。管理された竹林は見た目にも美しいですが、放置された竹林の下では、先ほどの杉山と同様に他の植物はほとんど生えていません。繁殖力が強く数年で他の植物が駆逐され竹林になってしまいます。また、杉は一度伐採してしまえば再び芽を出すことがありませんが、竹は伐採しても次の年にまた生えてきて、根を掘ってしまわない限り何回も伐採しなければなりません。

市原南霊園も近くに孟宗竹の林がありましたので、竹の根を掘り起こして竹林と霊園の境界に竹の根の侵入を防ぐための特殊なプラスチックを埋めてあります。所謂「里山型樹木葬」を行っているお寺は、千葉県内に天徳寺様、真光寺様などがありますが、現在、霊園として綺麗に管理されております。おそらく、私の所と同様に竹や杉の処分にご苦労されたと思います。樹木葬は里山を維持する観点からすると山の有効な利用方法だと思うのは、お墓を作る時に上記で述べたような杉や竹を同時に取り除き且つコナラなどの落葉樹が育つ環境を作り出せるところにあると思います。