樹木葬を考える

樹木葬を考える(10)

私は昭和38年7月5日に大通寺で生を受けました。様々な心の葛藤があり住職となりました。子供の頃は、自分が走り回って遊んでいた山を樹木葬の墓地にするとは夢にも思っていませんでした。確かに子供の頃から色々な樹木や鳥たちの様子や野に咲く花などが大好きだったのは事実です。また、静かな里山にいると妙に心が落ち着くような感じもしました。10年ほど前に岩手のお寺が樹木葬を始めた事を知って、自分も始めてみたいと思いました。先ほども書きましたとおり里山の自然に触れると妙に心が落ち着くと子供の頃から思っていたからです。私自身も今までに様々な人との出会いがあり、また別れがありました。最愛の人との別れもありました。人と人の出会いは偶然だと思っていましたが、それは偶然でなく必然で、出会うべきして出会うような気が今はしています。

夫婦となる人は赤い糸で結ばれているなどと言いますが、同じ時代に生まれて来たことだけでも奇跡だと思います。何億人もいる人の中のたった1人と出会い愛し合い、何年もの時を過ごすのですから出会うべきして出会ったと思わざるを得ません。1日、1日、一瞬、一瞬も必ず未来につながっていて、ほんのちょっとした事が人の人生を大きく変えてしまうようにさえ思います。全てのことがその一瞬の出来事で決まっていて、偶然ではなく必然であるように思えるのです。大袈裟な言い方かもしれませんが、私が寺に生まれ、樹木葬を始めたことも必然で、樹木葬を始めてから出会った方たちとも偶然でなく必然であったような気がします。現在、北海道、兵庫県、韓国、ドイツなどにお住まいの方がいらっしゃいますが、最初からご縁があってお会いできた様な気がします。

前にも書きましたが、私が作った里山の樹木葬にお越しになった方が少しでも心の安らぎと言うものを感じていただけたら私はとても嬉しく思います。私自身は自分が安らげるような空間を作ったつもりです。その場所を気に入って頂けたとしたら最高に嬉しく思います。あまたある樹木葬の中から私が作った市原南霊園の樹木葬を選んでいただいた訳ですから、その皆さんは同志でありとても他人とは思えません。本当に皆さまに出会えた事に感謝しています。寺の住職には住職用のお墓がありますが、私は市原南霊園の樹木葬を選んでくださった方たちと同じ場所に埋葬してもらうつもりです。私自身に後どれだけの時間が残されているのかは誰にも分かりませんが、一生懸命に皆さまが安らげる場所にして行くつもりでいます。里山に吹く風や木々からの木漏れ日や房総の山々のシルエットを見ていると様々な想いが駆け巡ります。おそらくは、お越しの皆さまも同じだと思います。たぶん人の一生はとても短く、そして人も大自然の中ではちっぽけな存在なのかもしれません。

だけど一輪の花が精一杯咲いているように私たちもどんなことがあっても自分の花を咲かせなければならないと思います。それは、私が感じることですが、人それぞれに色んな想いが浮かんでくると思います。話が逸れましたが、霊園の木々やまわりの景色をご覧になって心を癒していただくと共に今、確かに生きていると言うことを感じていただければと思っています。たとえ今は、最愛の人を亡くし希望をなくしていたとしてもこの場所で同じ空を一緒に見ていると思ってください。そして、その人はいつでも私たちの心の中で一緒に生きています。私はそう思います。人は生まれたら必ず死ななければならず、愛する人ともいつか必ずお別れしなければならない時が来ます。ですがその人との思い出はいつでも私たちの心の中で生き続けます。

時は一瞬たりとも止まってくれません。私たちにできる事は、日々を懸命に生きる事です。その姿を愛する人はどこかで必ず見ていてくれていると思います。霊園のベンチに座って空や山を見て、吹く風を通して私自身が感じたことです。「樹木葬を考える」と題して長々と書きましたが私が皆様に本当にお伝えしたいことは、今回書いたことです。